知人の先生が急に体調を崩されて、奥様がパソコンのパスワードもわからず途方に暮れた。そんな話を耳にした夜、ふとご自身の事務所のことが気になって検索された方も多いのではないでしょうか。

「あと2〜3年で畳もうか」と漠然と考え始めると、机のノートパソコンやクラウド会計のなかにある顧客情報が、いったいどうなるのか不安になる瞬間があります。本記事では、税理士事務所を閉じる前にIT周りで整理しておきたい5つの論点を、半年前から動くスケジュール感とあわせて整理しました。

なぜ今、廃業時の「IT整理」が論点になるのか

チェックリストに記入する人

廃業を考え始めた先生方からのご相談で、最近とくに増えているのが「データやパソコンをどうすればよいか」というテーマです。同じ年代の先生方から共通して上がる声で、決してあなただけが感じていることではありません。

廃業件数は3年で約170%増えている

中小企業庁の中小企業白書(2024年版)によれば、2024年の業種別廃業率では士業を含む専門サービス業が上位に挙がっています。税理士業界に絞っても、廃業の届出件数は2022年の30件から2023年に81件へと増え、約170%の伸びを示しました。背景には、日本税理士会連合会のデータが示すとおり、登録者の約半数が60歳以上という年齢構成があります。

ご自身が今このページを読んでいるのも、そうした業界の地殻変動と無関係ではないのかもしれません。

紙の時代と違い、データは『見えない場所』に散らばっている

20年前であれば、机の鍵を回し、書庫を片付け、シュレッダーをかければ事務所の片付けは終わりました。今は違います。クラウド会計のサーバー、メールに添付された決算書、スマートフォンのバックアップ、外付けハードディスク。お預かりした情報が、目に見えない複数の場所に散らばっているのが現実です。

このまま手をつけずに廃業日を迎えると、ご家族や後継の先生が困る場面が出てきます。だからこそ、廃業のスケジュールを考え始めたタイミングで、IT周りの整理も並行して始めることをおすすめします。

見落としやすい「5つの論点」全体像

全体像が見えないと、何から手を付けてよいか迷ってしまうものです。まずは地図を広げる感覚で、5つの論点を眺めてみてください。

ステップ やること 法的根拠・実務上の根拠 推奨タイミング
顧客データの引き渡し(後継税理士/顧問先/廃棄を仕分け) 税理士法第33条の2 関連の保管慣行 半年前〜3ヶ月前
守秘義務に基づく適切な廃棄・記録 税理士法第38条・第54条 ①と並行
自事務所の帳簿の保存期間確認 電子帳簿保存法・国税通則法(一般的に7年) 廃業届と同時期
クラウド会計・SaaS契約の解約(先に引き継ぎ→最後に解約) 各社利用規約・実務慣行 引き継ぎ完了後
端末初期化・紙書類のシュレッダー処理 個人情報保護法 廃業当日〜直後

5つを並べてみると、独立した作業ではなく前後関係があることがわかります。とくに④の「クラウド会計の解約」を先にしてしまうと、①のデータ引き渡しができなくなる。この順序感が、半年前から動き始める理由でもあります。

ステップ① 顧客データの引き渡し——「誰に」「何を」渡すかを決める

5つのうち最も時間がかかるのが、このデータ引き渡しです。長年お付き合いいただいた顧問先に最後まで誠実に対応したい。そんなお気持ちは、ご相談に来られる多くの先生方が共通して抱かれるものです。

引き継ぎ先パターン

データの引き継ぎ先は、大きく3つに分かれます。

  • 後継の税理士先生に丸ごと引き渡す(事業承継型)
  • 顧問先ごとに引き継ぎ先を分ける(個別引き継ぎ型)
  • 顧問契約を終了し、顧問先がご自身で次の事務所を探される(解約型)

どのパターンになるかで、引き渡すデータの粒度も方法も変わります。すべての顧問先に同じやり方を当てはめようとすると、かえって混乱を招きやすい部分です。

引き渡すデータの種類

実務上、引き渡しの対象になるのは次のような情報です。

  • 過去の申告書、決算書、内訳書(過去3〜7年分が一般的)
  • 仕訳データ、補助元帳(クラウド会計のエクスポートデータ)
  • 顧問先との往復文書、メール
  • 経営者・ご家族のマイナンバー関連書類

このうちマイナンバー関連は、後述する守秘義務とあわせて慎重に扱う必要があります。

引き渡しの形式

クラウド会計の場合、サービスによって「データ移行機能」が用意されていることがあります。ただし会計ソフト同士の互換性は完全ではなく、仕訳データはCSVやPDFで書き出して引き継ぐケースも一般的です。

紙ベースのお客様であれば、コピーを取って封筒に詰めて返送するという、これまでどおりのやり方で済みます。ハイブリッドな顧問先の場合は、紙とデータを分けて引き継ぎ表を作ると、後でトラブルが起きにくいようです。

顧問先への事前連絡から実際の引き渡し完了までは、3ヶ月前後を見ておく先生が多いそうです。

ステップ② 税理士法38条・54条が定める守秘義務とデータの扱い

条文を見るとつい身構えてしまいますが、要は「お預かりした情報を最後まで丁寧に扱う」という当たり前のことを、書面にしているだけです。

廃業後も守秘義務は続く

税理士法第38条は、税理士またはその使用人だった者が「正当な理由がなくて、税理士業務に関して知り得た秘密を他に漏らし、又は窃用してはならない」と定めています。ここで重要なのは「だった者」という表現で、廃業して資格を返納した後も義務は継続するという点です。

第54条はこれを補強し、同様の趣旨を税理士の補助者にまで広げています。一人事務所の先生であっても、奥様やご家族が業務を手伝ってこられた場合、同じ前提で動く必要があります。

引き渡しと廃棄の境界線

データを「引き継ぎ先に渡す」のか「廃棄する」のかで、扱いが分かれます。

  • 引き継ぎ先に渡すデータ: 引き渡し記録(日付・対象・受領者)を残す
  • 廃棄するデータ: いつ・何を・どのような方法で廃棄したかを記録する

廃業から数年後に「あのデータどうなりましたか」と問い合わせを受けるケースがあると、ご相談者からお聞きすることがあります。記録があれば説明できますし、なければ説明に窮します。手間に見えますが、廃業後のご自身を守る記録でもあります。

マイナンバー関連の特別扱い

マイナンバーを含む書類は、番号法(マイナンバー法)に基づいて利用目的が終了した段階で速やかに削除または廃棄するのが原則です。顧問契約の終了がその「利用目的終了」にあたると考えるのが一般的で、引き継ぎ先にもマイナンバーは原則として渡さず、新しい税理士先生が改めて取得し直す流れが多いようです。

ステップ③ 電子帳簿保存法と国税関係帳簿の保存義務

「廃業したらもう関係ない」と思いがちですが、ご自身の事務所の帳簿は廃業後も保管が必要です。ここを混同される先生は少なくありません。

国税庁の案内によれば、青色申告者として保存している帳簿書類は、一般的に7年間(一部は10年間)の保存期間が定められています。これは事務所を閉じても消えるものではなく、廃業届の提出後も保管しておく必要があります。

電子帳簿保存法に対応してデータで保管している場合は、廃業後にそのまま保管し続けられる環境を確保しておくことが論点です。クラウド会計のサブスクリプションを解約すれば、過去データへのアクセスもできなくなることが多いため、廃業前にPDFやCSVで書き出しておく先生が多いようです。

紙の帳簿で運用してきた場合は、保存スペースの問題が出てきます。事務所を畳んでご自宅に持ち帰るのか、貸倉庫を使うのか。ご家族と相談のうえで決めていく部分です。

国税庁が公表する「電子帳簿保存法の概要」や「個人事業の開業・廃業等届出書」の手引きに、保存期間や届出のタイミングが整理されています。手続きの細部はそちらをご確認ください。

ステップ④ クラウド会計・SaaS契約の解約タイミング

月額契約を1日でも早く止めたいお気持ちはよくわかります。ですが、解約ボタンを押す前に、もう一段階だけ確認することをおすすめします。

クラウド会計サービスは一度解約すると、過去データへのアクセスができなくなる仕様が一般的です。データを書き出してから解約するのが原則で、順序を間違えると取り返しがつきません。

事務所運営に使ってきたサービスを棚卸しすると、思っていた以上に多いことに気づきます。

  • クラウド会計サービス(顧問先用・自事務所用)
  • 給与計算サービス
  • 電子申告ソフト
  • 文書管理・電子契約サービス
  • グループウェア、メールサービス、Web会議ツール
  • 名刺管理アプリ、スケジュール管理アプリ
  • ドメイン、ホームページのサーバー

それぞれに月額・年額の費用がかかっており、契約者名義もバラバラというケースが多いものです。一覧表にして、解約予定月を書き込んでいくだけでも、ずいぶん見通しが良くなります。

解約の順序は、引き継ぎ先へのデータ受け渡しが完了したものから順に、というのが原則です。最後まで残るのはご自身のメールアドレスとドメインで、廃業のご案内を顧問先に出し終えるまでは生かしておく方が安心です。

ステップ⑤ 事務所端末・紙書類のデータ消去

28年間、机の上に置き続けてきたノートパソコン。電源を落とす最後の日まで、お預かりした情報を守り抜く——それが先生の最後のお仕事かもしれません。

パソコンを廃棄するときに「初期化したから大丈夫」と思いがちですが、通常の初期化(OSの再インストール)ではデータが復元される可能性があります。個人情報保護法の観点からも、復元不能な処理が望ましいとされています。

実務的には以下のような選択肢があります。

  • 専用ソフトを使ったデータ消去(複数回の上書き処理)
  • 物理的に破壊する(業者に依頼してハードディスクを破砕)
  • 信頼できるIT廃棄業者に証明書付きで依頼する

紙の書類は、家庭用シュレッダーで対応できる量を超えていることが多く、機密文書溶解サービスを利用する事務所も増えています。回収から溶解処理までを一貫して行い、処理証明書を発行してくれるサービスです。

スマートフォンやタブレットも忘れがちな盲点です。事務所のメールやクラウド会計にアクセスできる端末は、すべて初期化の対象になります。

5ステップを進める順序とスケジュール感

半年あれば、多くの先生方が無理なく整理を終えられています。今このページにたどり着いたタイミングが、ちょうど始めどきかもしれません。

タイミング 主にやること
半年前 ①顧問先への事前案内、引き継ぎ先候補の検討。SaaS契約の棚卸し
3ヶ月前 ①引き継ぎ実行、②引き渡し記録の作成、③自事務所帳簿の保管方針確定
廃業届と同時期 ④引き継ぎ完了したSaaSから順次解約、③過去データのバックアップ確保
廃業当日〜直後 ⑤端末初期化、紙書類の溶解処理、最後に残ったメール・ドメインの解約

このスケジュールは目安です。顧問先の数や運用してきたシステムの数によって、半年では足りないこともあれば、3ヶ月で済むこともあります。

迷ったらどうする?相談先と次の一歩

「まだ何も決めていない段階で相談していいのだろうか」とためらわれる先生も多いのですが、決めていないからこそ、一度第三者と話してみる価値があります。

相談先を選ぶときの目安をいくつか挙げます。

  • 守秘義務を負う立場の専門家(同業の税理士、弁護士など)
  • 廃業手続きそのものは無料で相談できる行政書士や社労士
  • 事業承継・M&Aを扱う第三者機関や民間支援サービス
  • IT資産の整理に特化したサポート業者

廃業ではなく承継も視野に入るのであれば、早めに第三者の意見を聞いておくと、選択肢の幅が広がります。相談先の選び方については「税理士の引退・廃業、どこに相談する?無料で話せる5つの窓口」でも詳しく整理しています。

よくある質問

Q1: 廃業後も顧問先のデータは何年間保管する必要がありますか?

顧問先のデータについては、原則として顧問契約終了とともに引き渡しまたは廃棄するのが一般的です。守秘義務との関係で長期間手元に残さない方針を取る先生が多いようです。一方、ご自身の事務所の帳簿は7年間(一部10年)の保存が必要です。両者を混同しないことが大事です。

Q2: クラウド会計を解約したら、過去データは見られなくなりますか?

サービスによりますが、解約後はアクセスできなくなる仕様が一般的です。解約前に必要なデータをPDFやCSVで書き出しておくのが原則です。引き継ぎ先の税理士先生がいる場合は、移行のタイミングをすり合わせてから解約する流れになります。

Q3: 顧問先に「事務所を閉じます」と伝えるのは、どのくらい前が適切ですか?

半年前にお伝えする先生が多いようです。決算期や申告期と重ならないタイミングを選び、書面で正式にご案内するのが丁寧な進め方とされています。長くお付き合いのある顧問先には、書面の前に対面または電話で先にお伝えする例も一般的です。

Q4: パソコンを廃棄するときは、初期化だけで大丈夫ですか?

通常の初期化ではデータの復元が可能なケースがあるため、専用ソフトでの上書き処理か、ハードディスクの物理破壊が安全とされています。証明書付きのIT廃棄サービスを利用される先生も増えています。

Q5: 廃業ではなく承継も選択肢として残しておきたいのですが、IT整理は始めるべきですか?

承継の場合でも、データの棚卸しと整理は早めに始める価値があります。承継先候補と話を進めるときに、引き継げる資産(顧問先データ、SaaS契約、システム環境)が整理されていると、話がスムーズに進む傾向があります。整理を始めたからといって廃業に進路が固定されるわけではないので、両にらみで動き始めても問題ありません。

まとめ

税理士事務所を閉じる前のIT整理は、「顧客データの引き渡し」「守秘義務に沿った廃棄記録」「自事務所帳簿の保存」「SaaS解約」「端末・紙書類の処分」の5つに分けて考えると見通しが立ちます。半年あれば、ほとんどの先生方が落ち着いて準備を終えられています。

今このページを開いた時点が、最初の一歩を踏み出すちょうど良いタイミングなのかもしれません。すでに動き始めた先生方も、これから検討される先生方も、ご自身のペースで進めていただければと思います。


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ここまで読んでくださって「IT整理の段取りはなんとなく見えたけれど、そもそも廃業に進むのか、承継も考えるのか、自分の気持ちがまだ整理できていない」と感じた先生へ。

5つの質問に答えるだけで、今のご自身の気持ちや考えが少し見えてきます。診断や評価ではありません。「今の自分はどう感じているか」を確認するための、小さな振り返りです。誰かと話す前の、机の上での一人の作業として、お使いいただけたらと思います。

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