なぜ、あなたの事務所の「人の問題」は尽きないのか? ―指示待ちスタッフが自走するチームに変わる「成功循環モデル」
なぜ、あなたの事務所の「人の問題」は尽きないのか? ―指示待ちスタッフが自走するチームに変わる「成功循環モデル」

事務所のスタッフが生き生きと働き、サービスの質もクライアントからの評価も向上する。そんな理想的な組織作りに関心はおありでしょうか。
多くの先生方が、日々の専門業務に追われる中で、「人の問題」に頭を悩ませていらっしゃるかもしれません。「若手がなかなか定着しない」「スタッフに主体性が見られない」「事務所内のコミュニケーションが不足している」。これらは、多くの税理士事務所で聞かれる共通の課題です。
専門知識や経験はもちろん重要ですが、事務所が持続的に成長していくためには、それらを支える「組織の力」が不可欠です。今回は、その力を引き出すための強力な考え方である「成功循環モデル」について、具体的な事例を交えて解説します。この記事が、先生の事務所を、スタッフが自ら考え行動する「自走するチーム」へと変えるための一助となれば幸いです。
1. マネジメントのよくある間違い:なぜあなたのチームはうまくいかないのか?(失敗の循環)
多くのリーダーが良かれと思って実践していることが、実はチームの活力を奪い、結果的に業績を悪化させる「失敗の循環」に陥っているケースは少なくありません。
【失敗例:ある税理士事務所の物語】
A税理士事務所のB所長が何よりも重視していたのは、「ミスのない完璧な仕事」と「圧倒的な業務スピード」でした。
毎月の会議で議題に上がるのは、スタッフが提出した書類の些細なミスや、業務のわずかな遅れについてです。B所長は、申告書にケアレスミスが見つかろうものなら、「なぜこんな基本的な確認を怠ったんだ!」「君のせいで事務所の信用が落ちる!」と全員の前で厳しく叱責。また、月次決算の報告が少しでも遅れると、「この業務にいつまで時間をかけているんだ」「他のスタッフはもうとっくに終わっているぞ」と、常にプレッシャーをかけるのが常でした。
B所長は、こうした厳しい指導がスタッフの成長と事務所の発展につながると信じていました。しかし、現実は逆でした。
- 関係の質の悪化:所内の雰囲気は常にピリピリしていて、スタッフはB所長の顔色をうかがうようになりました。お互いに助け合うどころか、ミスを他人のせいにしたり、不都合な情報を隠したりするようになり、人間関係は悪化の一途をたどりました。
- 思考の質の低下:スタッフは「余計なことを言って怒られるのはごめんだ」と考え、新しい業務改善の提案や、顧客への付加価値提案など、自ら考えて発言することをやめてしまいました。思考は停止し、「どうせ言っても無駄だ」という無力感が蔓延していました。
- 行動の質の低下:指示されたことしかやらない「指示待ち」の姿勢が常態化。難しい案件や新しい挑戦を避け、言われた業務を最低限こなすだけになりました。当然、スタッフ間の連携や協力も生まれず、チームとしてのパフォーマンスは大きく低下しました。
- 結果の質の低下:スタッフのモチベーション低下は、業務の質やスピードに直結しました。顧客対応は機械的になり、顧客満足度は低下。結果的に、解約する顧問先も現れ、事務所の評判も落ち込んでしまいました。
このA事務所の例は、典型的な「失敗の循環」です。多くのリーダーが陥りがちなのは、このB所長のように、まず「結果の質」(完璧な仕事、スピード)を求め、そのためにプレッシャーをかけるというアプローチです。しかし、この方法は、長期的には関係・思考・行動の質をすべて悪化させ、最終的には望む結果から最も遠ざかってしまうのです。
2. 時代は変わった:なぜ今、新しいマネジメントが必要なのか?
なぜ、従来型の「結果を求める」マネジメントは機能しなくなったのでしょうか。それは、私たちが生きる時代の大きな変化と深く関係しています。
現代は、変化が激しく、将来の予測が困難な時代です。テクノロジーの進化により、税務会計の分野でも、かつてはヒトが行っていた単純な記帳代行や書類作成業務は、ITツールやAIに代替されつつあります。また、顧問先のニーズも多様化しています。これからの税理士事務所に求められるのは、そうした定型業務もさることながら、お客様一社一社の複雑な課題に寄り添い、解決策を共に考えるコンサルティングのような、より付加価値の高い「知識労働」です。
このような時代において、所長が一人で全てを計画し、スタッフに指示命令を与えるだけのトップダウン型の組織では、目まぐるしい環境変化に対応できません。
変化の激しい時代に求められるのは、現場のスタッフ一人ひとりが、お客様の変化や課題を敏感に察知し、自ら考え、判断し、行動する「自走するチーム」なのです。そして、この自走するチームを育むための考え方のヒントが、次に紹介する「成功循環モデル」にあります。
3. 組織を活性化させる魔法のサイクル:「成功循環モデル」とは?
「成功循環モデル」とは、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者によって提唱された、組織開発の優れたフレームワークです。このモデルは、「関係の質」「思考の質」「行動の質」「結果の質」という4つの要素が、順番に良い影響を与え合い、組織全体のパフォーマンスを高めていくプロセスを示しています。
- 【起点】関係の質を高める すべてはここから始まります。お互いを一人の人間として尊重し、信頼し合える関係を築くことです。職場の風通しが良くなり、誰もが安心して本音で話せる状態を目指します。
- 思考の質を高める 良い人間関係は、人々の思考をポジティブに変えます。お互いに信頼し合える環境では、他責思考や批判的な考え方が減り、「もっと良くしよう」「お客様のためにもっと何ができるか」といった前向きで建設的なアイデアが生まれやすくなります。
- 行動の質を高める 前向きな思考は、具体的な行動に変わります。メンバーは指示を待つのではなく、主体的に行動し始めます。チーム内での連携もスムーズになり、困っている人がいれば自然に助け合うようになります。
- 結果の質を高める 質の高い行動は、当然ながら良い結果につながります。生産性の向上、サービスの質の向上、顧客満足度のアップ、そして最終的には事務所の業績向上といった、目に見える成果となって現れます。
そして、このサイクルはここで終わりません。良い結果が出ると、チームの一体感や仕事への誇りが生まれ、メンバーの組織への帰属意識が高まります。これがさらに「関係の質」を向上させ、より強固な信頼関係を築くことにつながるのです。
このモデルで最も重要なポイントは、何をおいても「関係の質」から始めることです。結果を焦るあまり、この順番を無視してはいけません。土壌を耕さずに種をまいても、良い作物は育たないのと同じです。
4. はじめの一歩:「関係の質」を高める鍵は“心理的安全性”
では、成功循環の起点となる「関係の質」は、具体的にどうすれば高められるのでしょうか。その答えの鍵を握るのが、「心理的安全性」という概念です。
「心理的安全性」とは、ひと言でいえば「このチームの中では、何を言っても大丈夫だ」とメンバーの誰もが感じられる、安心できる場の状態を指します。「こんな初歩的な質問をしたら、能力が低いと思われるのではないか」「反対意見を述べたら、和を乱すと思われないだろうか」といった不安を感じることなく、誰もが自分の考えやアイデア、懸念、さらには失敗さえも、率直に口にできる環境のことです。
心理的安全性が低い職場では、スタッフはミスを恐れて質問できなくなり、新たな提案を躊躇し、結果として組織全体の学びや成長の機会が失われてしまいます。
この心理的安全性を高めるために最も効果的なのは、リーダーである先生自らが、範を示すことです。ご自身の過去の失敗談や、経営者としての悩みを率直に話してみてください(自己開示)。リーダーが完璧ではない一人の人間として弱さを見せることで、スタッフも安心して自分をさらけ出せるようになります。
また、ミスが起きたときに「誰のせいだ」と犯人を探すのではなく、それを「組織が成長するための貴重な学習機会」と捉え、チーム全体で原因を分析し、再発防止策を考える文化を醸成することが極めて重要です。
5. 【ケーススタディ】成功循環モデルで組織はこう変わる(税理士事務所の想定ケース)
では、成功循環モデルを導入すると、組織はどのように変化するのでしょうか。ある税理士事務所を想定して、変革のプロセスをケーススタディとして見ていきましょう。
【CASE:Before】
ある税理士事務所は、所長が完璧な仕事を求めるあまり、スタッフに厳しく接し、「失敗の循環」に陥っていました。離職率は高く、所内の雰囲気も最悪な状態です。
【変革のプロセス】
この状況を打開するため、所長が「関係の質」から始めるアプローチを決意。以下の取り組みをスタートしたと想定します。
- 関係の質の向上
- 自己開示と対話: 所長が朝礼で自身の過去の失敗談や、事務所経営の悩みを率直に話します。また、スタッフ一人ひとりと定期的に面談する時間を設け、まずは仕事の話ではなく、キャリアの悩みや興味のあることなどをじっくり聴くことに徹します。
- オープンな会議: 週に一度、「事務所を良くするための作戦会議」をスタート。そこでは誰もが自由に意見を言えるルールを作り、所長は結論を急がさず、ファシリテーターに徹します。
- 思考の質の向上 「何を言っても大丈夫だ」という安心感が醸成されると、スタッフの思考に変化が表れ始めます。「もっとこうした方が業務が効率的になる」「あのクライアントには、こんな提案ができそうだ」といった、前向きで建設的なアイデアが次々と出るようになります。
- 行動の質の向上 スタッフが主体的に新しい会計ソフトの導入を検討・提案したり、業界知識を深めるための勉強会を自主的に開催したりするようになります。お互いの得意分野を活かして、自然に助け合う文化が生まれます。
- 結果の質の向上 結果として、業務効率が劇的に改善し、残業時間が減少します。スタッフはより付加価値の高いコンサルティング業務に時間を使えるようになり、顧客からの満足度と信頼が大幅に向上。紹介で新規顧問先も増え、売上も向上していきます。
【CASE:After】
このような好循環が回り始めると、事務所全体が活気に満ち、所長もスタッフも深い信頼で結ばれ、「この事務所で働くことが楽しい」と心から思える状態へと変化していくことが期待できます。
6. まとめ:さあ、あなたの事務所も変革の旅へ
ここまで、「成功循環モデル」の考え方とその実践について解説してきました。このモデルは、人を、そして組織を、根本から健やかに成長させるための「哲学」であり「技術」です。
大切なのは、この変革は、リーダーである先生ご自身から始まるということです。リーダーの役割は、スタッフを管理・統制することではありません。彼らが自らの能力を最大限に発揮し、自走できるような「豊かな土壌」、すなわち心理的に安全な環境を整え、彼らの内なるやる気を引き出すことです。
大河の流れも、はじめは一滴のしずくから。まずは、先生の事務所のスタッフ一人ひとりと真摯に向き合い、対話の時間を持つことから始めてみてはいかがでしょうか。その小さな一歩が、やがて大きな変革の波を生み出すはずです。